2007年08月15日

いつもと変わらぬ 八月十五日

今日は平和を回復した特別な日。
だが、いつもと変わらぬ一日が西に向かう陽の光と共に過ぎて行く。
いつもと何一つ変わらずに陽は西へと傾いている。
あの昭和20年八月十五日と同じように!

あの日もジリジリと暑く、
蝉時雨の只中の一日であったように思う。
尤も、その記憶は、
誰かに摺り込まれた後の知恵であるかも知れない。
当時は3歳か4歳程であったのだから、確かな記憶とは言えない。

だが、鮮明に脳裏に刻まれている。
あの日の昼頃までの出来事は。

「今日は何か大変な放送があるそうな・・・」
幼い子にもそれなりの危機を感じ取るような不穏な空気が
朝早くから、周辺に流れていた。

10時を回った頃からであろう。
大人が、一人、二人と緩やかな坂を上って集まってくる。
次第に、内庭、外庭が老若の大人で溢れた。
ジリジリの太陽の下では、
大人達のヒソヒソ声を掻き消すように蝉がけたたましく啼いている。

正午頃である。
家の中の横座に備えられた卵型のラジオが、
「ジャージャー」と蝉の音を掻き消す雑音を発した。
機械に詳しい一回り大きい一番上の兄者があわててチョコレート色の摘みを微妙に回す。
すると、雑音の合間を縫って 意味不明の言語が途切れ途切れに
聴こえて来る。

大人たちは、直立不動になって耳を傾けていた。
たちまち大人たちは、啜り泣きを始めた。
やがて、老若男女を問わず一斉に嗚咽を始めたのである。
幼子たちには何の事だか何が起きたのかはわからない。
不思議な光景だった。皆が泣いている。
つられて、幼子たちも自然に悲しくなって一緒に泣いた。
目を真っ赤にした大人の顔を眺めては、
大人と同じように、何度も何度も拳で涙をぬぐった。


今思うと
ジャージャー雑音を発したのは「並四というラジオ」だ。
当時は、ラジオがどこの家にもあるというものではない。
極限られた家でしか聴くことが出来なかった。
大切な放送を聴くために大人たちは集まってきたのだろう。
そして
後にそれが、「玉音放送」だと判った。

成人して後、縁あって【昭和の記録】という、NHKかどこかの
レコードかテープの製品が出版された折、
その素材作りに携わる機会を得た。
SPレコードの玉音放送を間近で聴くことが出来た。
何度も何度も幼児の頃と重ね合わせて聴いた。

その時、大人たちのあの涙の理由が、
初めて理解できたように思う。
更に、
この一枚のSPレコードがどのような運命を辿りながら
放送局に持込まれたかも・・・・。

以来、
八月十五日という日には、
あの意味不明に聞こえた幼き日の玉音放送が・・・
鮮明に耳の中で繰り返し鳴響く。

≪茲(ここ)に忠良なる爾(なんぢ)臣民に告く・・・
   堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ・・・・≫




「若い人たちに、あの日の悲しみを味合わせたくない。」
体験した大人たちはみな、同じ思いに違いない。
だが、
戦争を語り継ぐべき大人たちは一人二人と居なくなった。
私は、本当の戦争は知らない。
だが、今日という日の事実だけは、機会ある毎に
語り継ぎ、書ものに残したい。
子供達のためにも、<歴史は決して風化させてはいけない。>


日本のいちばん長い日 8月15日

ファッションも、生き方も、あの日とは隔世の感がある。

今日は何の日かを知らない若者たち、
戦争の痛みを知らない子供たちは いま夏を謳歌している。





ラベル:戦争 終戦
posted by ヌーボー at 17:32| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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